2009/08/27

読書~八甲田山死の彷徨~

P1010707s1024 十和田・奥入瀬ツーリングで県道40号を走り、雪中行軍遭難者銅像を見てきました。そのノンフィクション・実話を描いた本が、直木賞作家、新田次郎の八甲田山死の彷徨です。新田次郎を読むのは、2冊目です。この本もまた親父の書斎の本棚にあった物です。本は、昭和46年9月20日が一番最初の発刊ですが、この本は、36刷昭和51年6月5日のものでした。

ツーリング時には、本を読んでいなかったので、銅像近くにある説明をよんで、そういう事件があったんだとしか特に感じませんでしたが、本を読むと、絶句するはなしです。

ストーリーは、日露戦争を控え、雪の中の戦いに強いロシア軍とどう戦うのか?装備・知識ともに、相手と同等以上で無ければならない。第八師団に属している第四旅団の中の青森の歩兵第五連隊と弘前の歩兵第三十一連隊とを厳寒の八甲田山雪中行軍を行わせることになる。どちらが成功させることができるのか?

第三十一連隊は、岩木山での雪中行軍を行い、雪に対しての知識・経験があったが、第五連隊は、今回が始めての雪中行軍だった。

第五連隊の神田大尉はライバルである、第三十一連隊の徳島大尉を訪れ、アドバイスを求める。普通ならば、ライバルに情報を流すようなことはしないのだが、徳島大尉は神田大尉に対して、惜しげもなく雪に対する防備・雪中行軍の編成、村人の案内役を付けた方が良い事などを教える。

第三十一連隊は、少数精鋭、装備は岩木山での経験を踏まえた全員が統一されたもの、規律もしっかりしたもので、凍傷がどんなに恐ろしいもので、一人でも凍傷にかかると行軍が命取りになることを知っていた。一人の落伍者もださないという気持ちを持っていた。そして、弘前市から東へ十和田湖を経由して、最後に難関八甲田山超えという路だた。

それに対して、第5連隊は、中隊で大人数、装備は、ばらばらであり、厳寒期の雪山を甘く見ているものもいるほど。田代温泉で、一杯やろうという楽観的な輩もいるくらいだった。凍傷の恐ろしさも知らず、防ぎ方も知らない者ばかりで、知っているのは、岩手出身者のような雪の怖さを知っている物だけだった。そして、経験も無く、初日が八甲田山超えだった。山田少佐の意見により、5連隊には、31連隊とは違う個性が必要だ、金目当ての村の案内には必要ないと言い放つ。

第5連隊の神田大尉は、士族でもない民間出の軍人で努力家であり、有能な人で指揮官のはずだったが、後ろから着いてくる山田少佐に行軍中指揮権を奪い取られてしまう。これが、最悪の結末へと導いていく。もし、神田大尉の意見・指揮権の元だったら、犠牲が出ようとも、八甲田山超えを成し遂げたのかもしれない・・・。

猛吹雪・零下21度、寒さで方位磁石は動かなくなり、案内人も居ない。空腹と疲労で、幻覚を見る者、錯乱する者が続出する。人がばたばたと倒れていく。錯乱して、雪の中を全裸になり、泳ぎが得意だからと川を泳いで助けを求めに行こうとするものまで出る。

凍傷を負った落伍者を助けるために、負担を背負った人間が連鎖的に、雪の中へ消えていく。

第五連隊は、210名参加のなか、遭難死亡者199名にもなった。果たして、神田大尉は生き残ることが出来たのか?

という話です。3日で読み終わりました。

本の中に、地図が書かれているので、どういう経路を辿ったのか理解できます。私は、ほんの地図とツーリングマップルを見比べながら読みました。ツーリングマップルにも、田茂野木や大峠が載っています。

雪中行軍が進んだ路をバイクで走って見たくもなりました。

とにかく、悲惨な話です。生き残った人間も凍傷で悲惨な状態です。第三十一連隊を案内した7人の村人も悲惨です。「他言するな、話したら一生暗い中で送ることになる」と脅され、凍傷により農作業が出来なくなったというのだから。

読み終わって、どちらが勝者なのか考えさせられました。

それにしても、私は第五連隊の神田大尉が不幸でならないと感じました。

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